私という楽器

誰もトランペットでチューバの音を出そうなんて思わないと思う。
それならチューバを使う。
ヴァイオリンでコントラバスの音を出そうとも思わない。
ヴァイオリンは別にコントラバスになりたいわけじゃない。

でも、私はなりたかったんですね。
結局は変な音が出たり、痛めたりしただけで。
いいことなんて何もなかった気がするのに。
それでも偶然似た音が出たことに前進を予感して迷走を続け。

しかし最近、疲れを感じたりもしまして、進歩の無さに虚しくなってみたりして。
他の楽器は取り替えて好みのいろんな音を楽しむことができるのに、取り替えがきかないこの楽器に憤りを感じ、期待し、失望し、でも見限れない。
諦められない。
頭ではわかっていても、受け容れられずに今に至りますが。

そろそろ、自分が次のステージに進みたいのなら、認めないといけないと感覚的に理解してきた気がします。

努力すれば全て叶うと思っていた。
天才を追い越す努力があると思っていた。
それが間違いであると。

たくさんのできるようにはならないこと。

でも、それと同じくらいの数のできること。

良く言えば、二つと無い貴重な私という楽器。
そんなに悪くもないはずだと思いたい。
いつか、そんなに悪くないと言い切りたい。

昔、大人が言うまだ自分は子供だというよくあるフレーズを聞いて、何言ってんだこいつと思っていたんですが
今も大人は大人だろと思ってるんですが
確かに昔と変わらず、理想に追いつけない自分にもどかしさと焦燥を感じている私は、子供です。
ていうか、未熟です。

そんな過渡期。
頑張って一皮剥けたいですな。

🅱